誰かに守られた記憶
何だかザックリした俺個人の感想なんだけど、日本の人達って小さい頃から「”誰かに守られた”体験や記憶」みたいなものがあまり無い人が結構多い気がする。俺の場合、朝鮮学校という特殊な環境にいたせいか、身内に限らず同胞の先輩や大人達がテッパンで自分の事を守ってくれていたのね。— 🦀Cooper(✌️’ω’✌️ )🌈 (@gonshoken2012) 2019年1月17日
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311後
エネルギーワーク友だちのご家族何組かは海外に移住しました。
とても、勇気のある行動だった、と心から尊敬しています。
今も、永住権やビザの獲得のためにそれぞれ本当にがんばっていて、永住権が取れた人も受け入れてくれたその国に貢献できるようにと日々とてもがんばっています
もう、直接やりとりこそしていないけど、彼女たちのツイートを見て一緒になって
「おー!」「マジで!?」
とかこっそりと一喜一憂しています。笑。
それぞれに選んだ移住先の国は制度の面でも住んでいる人びとのマインドの面からも日本にくらべはるかに移住者たちに優しく、寛容で
日本にいるわたしでさえ
「そんなに(制度が)手厚いの?!」
とか
「なんて優しい人たち!!!」
と、感激してしまうくらいです。
エネ友の誰かがつぶやいていたかリツイートした内容がとても印象深くて今でもよく覚えています。
なんのツテもなく子どもたちとこの国にやってきて、期限付きビザではあるけれど「あなたたちはこの国にいていいんだよ」って国が保証してくれるということは、心からの安心・心の平安が持てるんだとびっくりした
みたいな内容でした。
(違う国かもしれないけど)
永住権がない子どもでも医療費や学費は無料だったり移民の子ども向けにボランティアで語学を教えてくれる学童?みたいなサービスがある国もあったりして
あなたたちを受け入れます
と、海外の国から手を差し伸べられるということは本当に安心できただろうなあと想像しています。
たぶんきっと、こういった心からの安心・心からの安寧、平安が感じられて初めてまわりのひとにも優しくできるんだと思う。
あなたはこのような「心からの安寧」を感じたことはありますか??
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翻ってわたしたちの故国・日本はどうでしょうね??
割と「自己責任」の意識が強いコミュニティーで、他人に頼ることは悪、みたいな風潮が強いと感じていますがみなさんはいかがですか
小さなお子さん、ハンデのあるひと、高齢者のかたがいるご家族を始め生きづらい、やりづらいと感じていらっしゃる方も多いだろうなあと想像します。
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・・・わたしが小さかった頃
父が家の中で大暴れして家族みんな血だらけ、みたいなときに、もちろん、110番とかしちゃってたんですよね。
このままでは殺される、とこちらは思っているので。
おまわりさんが来てくれるんですけど、
「まあご家族みんななかよくしてね」
となぁなぁに諭されて、帰ってしまうわけです。
民事不介入、のおきてがあるのでしょうがないのですが、おまわりさんが帰ってしまった後の、また家族だけで家にとり残されるあの感覚。
もう恐怖で「誰も助けてくれないなら、いっそ死んでしまいたい」と本気で思っていました。
児相とかに保護されるでもなく、おまわりさんも守ってくれない。
子どものときに感じたあの【絶望】の感覚は、いまでもざらっと、思い出したりします。
そしてわたしは、とりまく世界に絶望して、自分の感情を、閉じていくわけです。
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こういうひとが少なくなっていったらいいなあと思うんですよねー。
まわりのひとのちょっとした気遣いに、すごく救われることもあるでしょうし
「つらい」と誰かに頼ってもいいと思うんです。
今まで、よいと思っていたことが実は
「自己責任」論をふりかざし相手を絶望させるだけ、だったかもしれない。
自分の冷たさに向き合い、自分の意識を変えていけたら。誰かの「心の安寧」にちながるかもしれないし、それはきっと自分の「心の安寧」を取り戻す過程でもあるのかもしれない、と最近ちょっと思ったりしています。
自分のまわりからせめて、そんなコミュニティづくりができたらいいなあと思っています。